東日本大震災から
今日で、10年が経ちました。
この10年という歳月の中に、
数えきれない方々の想いがあり、
変わりゆくものも、
変わらないものもありました。
今でも鮮明に当時のことを覚えています。
目の前に広がる光景も、
ニュースで見た光景も、
音も、天気も、空も。
その記憶を残しながら、
今、東京の地で、
自分に何ができるのだろうと考える日々でした。
当時、私は小学3年生でした。
帰りの会の直後、
数人は既に帰宅途中でのことでした。
私は教室にいました。
雪の降る中、校庭に避難し、
親が来るのを待ち続けました。
普段、混むことのない道は、
非常に混雑していて、
10分の道のりも、
この日は1時間以上かかったそうです。
クラスの最後の3人にまでなり、
不安でいっぱいでした。
当時、しちりんで
雪を溶かして生活用水としたり、
お水が手に入らず、
炭酸水だけが残っていたので、
炭酸水で歯磨きをしたりしました。
父親と顔を合わせたのは1週間後のことです。
特に覚えているのは、音です。
当時、校内放送で聞こえてきた、
避難訓練とは全く異なる先生の声。
隣のクラスでは、
本棚が倒れていました。
今でも、
当時と同じように携帯電話が鳴り響くと、
怖くて怖くて、
どうしたら良いのかわからなくなります。
久しぶりに行った学校の校庭は、
地割れをしていて、
校庭で何かできる状況ではありませんでした。
その年、卒業生だった姉は、
母校での卒業式は叶いませんでした。
当時、
小学生だった私の目に飛び込んできた光景は
今でも全て、はっきりと覚えています。
その記憶を胸に、
今、ここに生きさせていただいている私に
何ができるのかを、
ずっとずっと考えていました。
自分には、
あの日のことを話すことなど許されない。
良いはずがない。そう思っていました。
しかし、風化させないこと。
その責任が、私にもあるのだと感じました。
あの頃、守ってもらっていた私が、
今年、成人を迎えます。
これからは、誰かを守れるように。
今、ここに生きていることは、
決して当たり前ではないということ。
その有り難みを、改めて噛み締め、
自分にできること、
与えられた使命を胸に、
前へ、進んで行こうと思います。
大好きな東北の地を離れ、
自分がこの場所で、
このお仕事をさせていただいている意味。
どこにいても、
東北のことは常に頭にあります。
大切なたったひとつの地元。
大好きな大好きな東北の力に
少しでもなりたいと心から思っています。
その為に、今を懸命に生き、
この場所で、
活動を続けて行きたいと思います。
いつの日かこの想いが、
大切な地元まで届きますように。
このブログが、
未来へ繋がることを信じています。
東日本大震災により、
犠牲になられた方々の
ご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された方々に
心よりお見舞い申し上げます。
乃木坂46 久保史緒里
東日本大震災から
今日で、10年が経ちました。
この10年という歳月の中に、
数えきれない方々の想いがあり、
変わりゆくものも、
変わらないものもありました。
今でも鮮明に当時のことを覚えています。
目の前に広がる光景も、
ニュースで見た光景も、
音も、天気も、空も。
その記憶を残しながら、
今、東京の地で、
自分に何ができるのだろうと考える日々でした。
当時、私は小学3年生でした。
帰りの会の直後、
数人は既に帰宅途中でのことでした。
私は教室にいました。
雪の降る中、校庭に避難し、
親が来るのを待ち続けました。
普段、混むことのない道は、
非常に混雑していて、
10分の道のりも、
この日は1時間以上かかったそうです。
クラスの最後の3人にまでなり、
不安でいっぱいでした。
当時、しちりんで
雪を溶かして生活用水としたり、
お水が手に入らず、
炭酸水だけが残っていたので、
炭酸水で歯磨きをしたりしました。
父親と顔を合わせたのは1週間後のことです。
特に覚えているのは、音です。
当時、校内放送で聞こえてきた、
避難訓練とは全く異なる先生の声。
隣のクラスでは、
本棚が倒れていました。
今でも、
当時と同じように携帯電話が鳴り響くと、
怖くて怖くて、
どうしたら良いのかわからなくなります。
久しぶりに行った学校の校庭は、
地割れをしていて、
校庭で何かできる状況ではありませんでした。
その年、卒業生だった姉は、
母校での卒業式は叶いませんでした。
当時、
小学生だった私の目に飛び込んできた光景は
今でも全て、はっきりと覚えています。
その記憶を胸に、
今、ここに生きさせていただいている私に
何ができるのかを、
ずっとずっと考えていました。
自分には、
あの日のことを話すことなど許されない。
良いはずがない。そう思っていました。
しかし、風化させないこと。
その責任が、私にもあるのだと感じました。
あの頃、守ってもらっていた私が、
今年、成人を迎えます。
これからは、誰かを守れるように。
今、ここに生きていることは、
決して当たり前ではないということ。
その有り難みを、改めて噛み締め、
自分にできること、
与えられた使命を胸に、
前へ、進んで行こうと思います。
大好きな東北の地を離れ、
自分がこの場所で、
このお仕事をさせていただいている意味。
どこにいても、
東北のことは常に頭にあります。
大切なたったひとつの地元。
大好きな大好きな東北の力に
少しでもなりたいと心から思っています。
その為に、今を懸命に生き、
この場所で、
活動を続けて行きたいと思います。
いつの日かこの想いが、
大切な地元まで届きますように。
このブログが、
未来へ繋がることを信じています。
東日本大震災により、
犠牲になられた方々の
ご冥福をお祈りいたしますとともに、
被災された方々に
心よりお見舞い申し上げます。
乃木坂46 久保史緒里
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2021.03